Ai

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Happy Birthday my sweet boy!

9月7日、今日は息子の誕生日でした。週末にパーティーをするので今日は特別なことはしなかったのですが、わたしにとってこの2年は本当にあっという間でした。産まれて数ヶ月は本当に何もかもが変わってすごくナーバスになることも多かったです。なかなかおっぱいも出ず、合計3回くらいはひどい乳腺炎になりました。出産よりも痛かった気がします。。それから旦那が出張でいないときはすごく不安でどうやって1日過ごそう、、といつも考えていました。でもそういう時に限って私も伯も体調を壊すのです。。そして仕事をしているわたしにとってとても大きい存在なのがモレナ。私は割とすぐ働き始めたので、モレナが居なかったら何も出来てないと思います。伯が産まれて3ヶ月の頃から少しずつ見てもらうようになりました。伯はおじいちゃんもおばあちゃんも近くに居ないので、伯にとってはおばあちゃんみたいな存在。わたしにとっても頼れる母のような存在。伯を安全に見てくれるだけではなく、いろんなことに挑戦もさせてくれます。新しい場所に連れて行ってくれたり、色んな人と関わらせてくれたり。わたしだけではこんなに広がらなかった伯のコミュニティが今ではわたし以上の人と仲良しです。住んでるコンドミニアムの中の人たちはいつも伯に話しかけてくれ、今日はモレナはいないのー?と言われます。モレナが色んな人にナイスに接してくれるから私たちも色んな人といい関係が築けています。そして底抜けに明るい。もともと考えすぎてしまうところのある私も、モレナの一言にたくさん救われてきました。そんなこんなでもう2歳。9月からはプリスクールにも行き始めました。私だけがドキドキしているのですが、伯は心から楽しんでいる様子です。こうやってだんだんわたしから離れて行くのも寂しいですが、伯がハッピーならわたしもハッピーです。そして旦那さんにはいつも感謝しています。2ヶ月に1回は出張に行くのですが、いつも私のことを考えてくれて、わたしが疲れていると朝起きてくれたり、わたしに無理のない子育てを一緒に協力してやってくれています。これからどんな風に育って行くんだろう。私もまだ未知の世界です。でも伯らしく、元気に、楽しく、思いっきり人生を楽しんでもらいたいと思っています。そして、日本にいる家族にも感謝です。2年間支えてくれてありがとう。そしてこれからもよろしくおねがいします。ai

私の人生の言葉

皆さんは好きな言葉、ありますか?わたしはいつもアーティストの萌ちゃんと話してるとふと思い出したり感じることがたくさんあります。先日「すきな言葉とかある?」と不意に聞かれました。萌ちゃんはアートを作って欲しいとオーダーされると、その人の事をよく知るために好きな言葉をいつも聞くそうです。私は萌ちゃんからのその言葉で学生時代のことを思い出しました。私は昔から人間関係を築くことが苦手でした。小学校1年生、中学校1年生、高校2年生、専門学校1年生、、高校の時以外は1年目にいつも何かトラブルがありました。自分を出すのが苦手だった私は友達がすぐに作れるタイプではなかったので1年目がくるたびに怯えていました。特に思い出すのが専門学校の1年生の時。わたしはこの年から一人暮らしを始めました。私の行っていた学校はとても厳しくて有名でした。その学校では入学式の後日、すぐに合宿に行くのが決まりでした。出発の日、わたしは美容学校ということもあり、今までとは違ってみんな同じところを目指してる仲間になれそうで、とてもワクワクしていました。まずは行きのバス。同じクラスの子達がバスに乗るのですが、出席番号が後ろの方だった私を含めた数名は別のバスに集められ、出発しました。その時同じクラスの子と話した記憶は無く、到着した頃には、クラスのバスに乗っていた子達はすごく仲良くなっていて、人見知りのわたしはますます人見知りを発揮してしまいました。到着してからクラスでの行動がずっと続くのですが、周りのキャラの濃い子達に圧倒され、自分を出すことが出来ずにいました。そうすると、一人かわいい女の子Aちゃんが話しかけてくれました。友達になろうって。わたしはすごく嬉しくてAちゃんと一緒に行動するようになりました。Aちゃんはクラスの中でも人気者。Aちゃんは少し強めのキャラだったNちゃんに誘われて私たちは4人グループになりました。そこからお昼ご飯も一緒に食べるようになり、なんとなく私も友達が出来たんだなーと思っていました。ところがしばらく経ったある日、私はAちゃんから衝撃的な事を聞かされます。「Nちゃんがアイの悪口を言いまくってる」と。。わたしはNちゃんはちょっと苦手だなと思いながらも一緒に買い物に行ったりもしていました。その時にNちゃんはAちゃんに「また愛と買い物とかめっちゃだるい」とか 「ほんとに何着ても似合わない」などをわたしと一緒にいるときにAちゃんにメールしていたのです。私には全くそんな態度じゃなかったNちゃんが怖くなりましたが、気のせいだろうと思っていました。ですが、そこからグループ内での完全な無視が始まりました。お昼ご飯の時も私だけ無視。何を話しかけても無視。今の私からすれば早くそのグループから出て違う友達作ればいいよって思うのですが、当時私はそんな勇気もなく、ただそのグループにひっそりといるのでした。他の二人もその空気には気づいていたと思いますが、あまり触れないようにしていたと思います。Nちゃんは方言も強く、言葉でも態度でも私は恐れていたとおもいます。Nちゃんはクラスでも元気いっぱいのキャラでかなり目立つ方でした。私はクラスのみんなにも嫌われたくなかったんだと思います。ですが、そこからNちゃんはクラスみんなに私の悪口を広め始めました。例えば、、私は金属アレルギーを持っていて、当時首元が荒れていたのですが、それをキスマークで、男遊びが激しいとか、、まったく見に覚えのない事が広がって行きました。そうするとクラスの人からの目線も変わり、私は完全に孤独になりました。当時私は一人暮らしを始めたばっかりで親にも話すことが出来ずにいました。高校の時に仲の良かった子達はみんな新しい生活を始めたばかり。みんな離れ離れでそれぞれ友達を作って楽しんでることを聞き、自分が悩んでる事は打ち明けられませんでした。私はある日発熱しました。ですが、私の学校は基本的に休むことが許されない。私は力を振り絞って学校に行きました。でも誰も私に話しかける人はいません。泣けてきました。もしかしたらこれを読んでる同じクラスだった人はそんなつもりはなかったのかもしれないし、そんな事気付いていなかったかもしれません。私は全然目立たなく、大人しくしてたから。でも、すごく孤独に感じました。学校、やっぱりやめよう。美容師なるのやめよう。と思いました。母親に電話しました。本当にごめんなさい。一人暮らしさせてもらってるのに、学費も払ってもらってるのに、学校辞めたいです。と。母親はしばらく私の話を聞いてくれて、「いいよ。」といいました。続けて、「でも今日は木曜日。明日行ったら学校休みだから、明日、学校が終わってそのまま実家に帰っておいで。1日だけ頑張ってみよう」と。私は1日だけなら頑張れる気がして、「うん」と答えて電話を切りました。金曜日、私はどうせ学校やめるし、怖い事はもうないと思い、学校に行き、帰りにバスに乗って実家に帰りました。迎えに来てくれた母はとても優しく、私は頑張れなかった自分が悔しいのと腹立たしいのとでしばらく泣きました。私は思いっきり泣いて、ご飯食べて、話して、なんだかスッキリしました。すると母が「でもさー、美容師を諦める必要はないんじゃない?」と。「美容師を目指す学校でしょ?友達もいればいいけど、いなくてもいいんじゃない?とりあえず免許取るのだけ目標にすれば?」と。。私は確かにそうだなと思いました。別にお弁当食べに行ってるわけじゃないし、友達作りに行ってるわけじゃないし、気が合わない人とは友達じゃなくていいかも。と思いました。母は続けて「あと、そんな子すぐに周りが気づくよ。後々一人になるのはその子だよ」といいました。私は納得しました。2日間私は母とそんな話をしながら日曜日の夜には少しスッキリしていました。私はバスで一人暮らしの家に戻ることにしました。そしてバス停で別れ際に母が「楽しい事は人を大きくして、辛いことは人を優しくするから。だから乗り越えれば本当に優しい人になれるよ。愛ならできる!がんばれ!」と。私は今でもその時の一言が忘れられません。それから辛いことがあるたびに、いつも思い出します。それから私は学校に休むことなく行きました。ある日Nちゃんは突然学校を辞めました。辞める時Nちゃんもクラスメートも泣いていましたが、私は何も感じませんでした。その後私はそのクラスで最高の友達がたくさん出来ました。お腹が痛くなるほど心から笑える友達ができました。社会人になってからも私は母からの言葉を忘れることはなく、そのおかげで色んなことを乗り越えられたと思います。私の人生を支えてくれている言葉です。ちなみにNちゃんから3年ほど前にFacebookから連絡がありました。私を友達伝いで見つけたそうです。そこには謝罪の文と今の彼女の状況が書き連ねてありました。当時私達は10代で自己コントロールが難しい時期。もう時間も経っているし、私の心も強くなってる。でも、、私はNちゃんを受け入れる事は出来ませんでした。当時私の心はボロボロでした。でも、Nちゃんからはたくさんの事を学ばせてもらいました。その経験があったからこそ今の自分があると思います。私以上に辛い経験をしている方もたくさんいると思います。でも乗り越えた時にきっとすごく成長してる自分に気付けると思います。逆に、辛いことがないと成長出来ないとも思っています。皆さんの好きな言葉は何ですか?どんな言葉に支えられていますか?

先輩ママから聞いたバイリンガルの育て方

お久しぶりの投稿になってしまいました。最近は子育ても以前より楽になってきた気がします。相変わらずそこら中でひっくり返ってる息子ですが、なんとなく言葉が通じるようになり、私も伯語を少しずつ理解できるようになってきています。1歳半くらいまでが一番大変だった気が、、、?まだこれからのことは分かりませんが、今しかないこの時期を大事にしたいなと思っていますさて、今日はバイリンガルの子供達を育てたママ達に聞いた子育て方法についてお話ししたいとおもいます。息子は2歳になる9月からプリスクールに入ることになりました。日本でいう幼稚園です。半年前に見学にいって、お友達の勧めもあるスクールに決めました。そこは日本語の学校です。自分が英語に苦労したので、最初の考えでは、家でも日本語話すし、現地の学校の方がいいのでは? と思っていました。ですが、バイリンガルママ達は、声を揃えてしっかり日本語を話せた方が英語も伸びるといいます。英語は自然に身につくというのです。実際、日本人の父、母を持つ子供も、勉強しなければ日本語を喋れない子も沢山います。理解はできるけど喋れなくなるそうです。一方で3人のお子さんのママは一番上の子は5歳まで日本語の学校、小学校から現地の学校、最初は全く英語がわからなかったみたいです。今は10歳、ちょうど去年、現地の子の英語力を抜いたそうです。子供の対応能力って本当にすごい。3ヶ月もあればコミュニケーション取れるようになるそうで。。わたしもその脳が欲しいものです。言葉は世界を広げてくれます。将来いろんなチョイスができます。私たち夫婦は出来るだけ息子が沢山の言語を習得してもらいたいと思っています。それが私たちから息子へのプレゼントです。さて、息子は今ベビーシッターさんがスパニッシュを喋るので、日本語とスパニッシュは同じくらいの単語を言っています。ここからどう3つの言語を習得していくのか、私も楽しみです。また近況をアップデートしていきますね。

bowingのはなし

"bowing "って何だと思いますか?私も今まであまり深く考えることがなかったのですが、"お辞儀"という意味です。私の大好きな先生Esther はいつも面白いトピックを持って来ます。ある日のトピックは"bowing "。その日は文化的にお辞儀をする国出身の人は韓国の子と私だけでした。当たり前にするお辞儀。ルーマニアの子に聞かれました。「どういう時にお辞儀するの?」と。「おはようございます」「ありがとうございます」「申し訳ございません」「さようなら」、、よく考えたら日本で美容師をしている時は常にお辞儀をしていました。私たちの文化は家族でも友達でもハグはあんまりしません。アメリカでは家族も友達もハグをします。初対面の場合はその時の関係性によって違いますが。。私は初めてアメリカに来た時そんなフレンドリーな文化に戸惑いつつもすごく居心地が良く感じました。上下関係もなく、みんな名前で呼ぶ。街行く人は「そのドレスすてきねー!どこで買ったのー?」と気軽に声をかけてくる。すごく毎日が楽しかったです。それと同時にEsther の授業で気づいたことはお辞儀の文化はすごく美しいという事。相手を敬う気持ちを自分の身体で表現する。知らず知らずのうちに私たちはそんな素敵なボディーランゲージが身に付いていることに気付きました。日本人は自分の意見をあまり言えないなどと言われることがあります。私もあまり強く言うタイプではありません。ですが日本人の気の配り方、繊細で器用なところはすごく誇りに思います。違う文化に触れると相手の良いところや自分の良いところを見れます。Pluieのジュエリーは大胆なデザインの中にも繊細なデザインのバランスがあります。日本人ならではの"ものづくり"をロサンゼルスでやるからこその、このバランスだと思います。

visaのはなし。

よく聞かれることの1つにビザの話があります。アメリカに3ヶ月以上滞在するには何かしらビザが必要です。(3ヶ月以内だとインターネットでESTAと呼ばれる観光ビザをとります。)私はO-1ビザをとることができました。今は政治的理由も関係あるらしく、色々なビザが遅れたり、取得が難しくなっているようで私に可能性があったのはアーティストビザと呼ばれるものでした。このO-1ビザ取得にあたり、日本で携わった雑誌や広告、ショーなどの仕事全ての資料を集め、さらに関わった方々からrecommendation letter(推薦状)というものを書いていただきました。私は10名ほどの日本でのお仕事の方と、アメリカの知り合いの著名な方々に書いていただき、その資料の量は膨大。私は昔のお仕事の資料をきちんと管理していなかったせいで、集めるのに半年ほどかかりました。インターネットをたどってみたり、母が集めていた私のヘアメイクが掲載されている雑誌をコピーして送ってもらったり、、、とにかく大変でした。これからO-1ビザを取ろうとしている方、これまでやったお仕事の資料はしっかり管理することをお勧めします。それらの全ての資料をアメリカ政府に提出しました。1ヶ月後に私は政府から再提出を求められ、また更に数人の推薦状をお願いしました。数ヶ月経って突然政府からOKの通知が届きました。パソコンから日本の面接の予約をして、日本に帰り、日本のアメリカ大使館で面接を受けました。面接で落ちた人の話を聞いたりしたため、ドキドキしながら面接に向かいましたが、意外とあっさりビザのスタンプを貰う事ができました。受からないとアメリカに入れないというプレッシャーから解放されて、とてもホッとした瞬間でした。10日後大使館からVISAが届き、無事にアメリカに入国しました。それから、弁護士さんはとても重要です。私は3人の弁護士さんに話を聞き、最後に話を聞いた方にお願いしました。彼女が良かったのはメールなどの返答を直ぐ対応してくれたのと誠実さが垣間見れたとこでした。中には評判がいい弁護士さんでもメールもなかなか返ってこなかったり、返答が遅かったりする方もいます。色々な状況の方々がいらっしゃると思いますが、少しでも誰かの参考になればと思います。#アーティストビザ #アメリカ #O1visa

夜間断乳。

以前にインスタグラムで夜間断乳について載せたところ、すごく反響があり、ママさん達からのコメントやメッセージをたくさんいただきました。私だけじゃなくて悩んでた人はたくさんいるんだなと思ったのと、驚いたのがほとんどの人が成功していました。ママも寝れるしベイビーも1人で寝付けるようになる。もし悩んでる方がいたら是非試して見てください。伯は産まれてからなかなか寝ない子でした。長く寝て2時間。産まれた直後は1時間おきでした。さすがに出産でクタクタの体に1時間おきの授乳は本当に精神状態がおかしくなりそうでした。昼間に寝ていいよと夫にも言われていたのですが、ちょっとした泣き声でも耳に入ってしまい、朝も昼も夜も疲れているのに全く寝れませんでした。夜中に起きる度違う部屋に連れて行き、1時間近く授乳し、寝たらまたベッドに連れて行く。そして1時間後にまた起きる、、、、、、、、、、夜中はベイビーと世の中に2人きりな気がしてとても寂しく、朝が来るのが待ち遠しかったのを覚えています。それから時が経ち5ヶ月後、母乳もよく出るようになり、少し長く寝るようになりました。6時間くらい寝た事もあります。しかし、、ホッとしたのも束の間、6ヶ月頃また2時間おきに戻りました。。たくさんいろんな事を試しましたが全然長く寝ません。私は疲れないように夜間授乳のコツを覚えました。①泣いたらすぐ起きて授乳する②スマホは絶対見ない(一度見ると完全に目が覚める)③目を閉じながら授乳するこれをやっていると何回起きていても長く寝ている気分になります。(一晩に何回起きたか覚えていない事もよくありました。笑)ただ、これは疲れない気がするだけでやっぱり2時間おきに起きていると疲れは溜まります。夢は常に見ていました。そして日本から帰って来た時、もっと頻繁に起きるようになってしまいました。風邪を引いたりリズムもぐちゃぐちゃになってしまったんだと思います。そこでいろいろ調べた結果、夜間断乳することに決めました。6ヶ月の時にもやってみようかと思ったのですが、泣いても母乳をあげない事は心が痛くて、中々決断できませんでした。1日目...とにかく泣きました。おっぱいが寝るスイッチになっている伯は、とにかく泣きました。隣にいるのにあげないのが心苦しくて夫が伯と一緒に寝ました。1時間程泣き、疲れて寝ました。その後も2回くらい起きていましたが夫は寝たふりをしていたそうです。起きるたびに寝るまでに時間はかかりましたが、なんとか自分でも寝ました。(この日私は気になって一睡もできませんでした。。)2日目...1日目より泣く時間が短くなりました。途中で起きる回数も減りました。でもまだ起きます。夫は相変わらず寝たふり。3日目...夫がNYへ。私がとなりに寝ました。おっぱいがあるとおもったのか頻繁に起きました。途中で起きた時にはかなり長く泣いたので部屋から危ないものを全て取り除き、心苦しくも1人にしました。そうするとすぐ寝ました。4日目...最初からカメラをセットし、別室て寝る事にしました。途中で泣いたらモニターを見ていますが、数分で泣き止み、自分で寝ていました。5日目からはかなり長く寝るようになりました。夜間断乳の経験のあるママさん達は3日くらいで成功することが多いようです。今も夜中に起きたりもしますが、自分で寝ています。先日、夜間断乳成功者の先輩ママに聞いた話が、伯はお昼寝の時、授乳中にそのまま眠ってしまう事もありますが、それもやめたほうがいいそうです。まだ おっぱい=睡眠 というスイッチが切りきれてないそうです。それをやめれば途中で起きることすらなくなるそうです。今思う事はもっと早くやればよかったという事です。ママも人間だから睡眠は大事。お互いストレスの溜まらない子育てを目指したいです。

えいごのはなし。

日本の友達やお客様によく聞かれることがあります。「もうえいごペラペラですか?」私は一度も自分の英語がペラペラだとは思ったことはありません。これからもずっと一生勉強していくんだろうなと思います。でもアメリカで子育てをしている以上は、絶対に英語は必須だと思います。私は25歳くらいから英語を勉強し始めました。それ以前は中学校以来勉強したことはありません。当時25歳の私は猛烈に忙しい日々の真っ只中。ちょうどスタイリストになって3年ほど経った時でした。頭の片隅にずっと留学したいという気持ちがありながらも、美容師としてのやりがいや楽しさを見いだし、撮影も増えてきていました。勉強する暇はなかったのですが、いつかは留学して英語がペラペラになる事が人生の目標でした。いつも日本にいながら勉強できる方法を探していました。まず試したのはスピード◯ーニング。これは全く私には合わず、1ヶ月でやめました。次に試したのが街中の英会話。これは忙しさを理由にサボりまくり、お金を無駄にしました。結構本気だった割に休みは休みたいという気持ちになってしまうのです。そんな時留学をする予定のお客様から新宿にある英語教室を紹介していただきました。ホームページを覗くと、、「本気の人以外受け付けません」と赤文字で書かれた、何とも強烈な学校。本気だったため、すぐに電話して学校に入る手続きをしました。本来は1週間に2回通わなければいけなかったのですが、私は休みがなかったので1週間に1回。ただ宿題が膨大。仕事に学校に死にそうな日々を送りました。その後いよいよ仕事が忙しくなりすぎて体調を壊してしまったので、キリのいいところまでで学校は終わりにしました。今思えばこの時の基礎が少しは今に繋がっている気がします。それから休みのたびに海外旅行に行きました。一度は1人でニューヨークに行き、1週間のホームステイをして語学学校に通ってみたこともあります。それから時が経ち、気づいたらもう30歳目前。年齢もどんどん上がって行く事に焦りを感じ、「やっぱり留学したい。」という気持ちが諦めきれず、会社に相談してお休みを3ヶ月もらい、ロサンゼルスに留学しました。旅立つ寸前までは知り合いの紹介でカフェで1対1での英会話レッスンを受けていました。先生の名前はジェイソン。ロサンゼルス出身のジェイソンは日常使える英語をたくさん教えてくれました。ロサンゼルス留学の1ヶ月目はホームステイ。とってもラッキーな事にホストファミリーはとっても優しく、ご飯も美味しく、英語もたくさん教えてくれて遊びにもたくさん連れて行ってくれました。偶然にも、今住んでいる家からすごく近いので今だに遊びに行っています。2.3ヶ月目は部屋を借りていろんな国の子達とルームシェアをしました。ご飯を一緒に作ったりキックボクシングに行ったり。アメリカの人たちのフレンドリーでオープンなカルチャーに衝撃でした。もともと私はド日本人。周りの目も気になる。そんな今まで積み重ねられた当たり前が覆された3ヶ月でした。この経験が忘れられず、今に至ります。私がロサンゼルスに引っ越して来たのはちょうど2年前。(まだ2年しか経っていないことに衝撃です。笑)3ヶ月の留学から一度日本に帰っていた事もあり、英語はだんだん忘れていっていました。すぐに学校に通い始めました。でもやっぱり思うように喋れない。その時彼から(今の旦那です)英語の先生を紹介してもらいました。先生の名前はエスター。エスターはアダルトスクールで教えつつ、プライベートレッスンもやっているので私は時間を見つけてできるだけ通っています。文法も必要ですが、日本人が特に苦手なのは発音。使った事のない顔の筋肉を使いまくるのでレッスンが終わった後は顔が疲れるくらいです。アダルトスクールは本当に世界各国、年齢も様々です。お互いの文化を尊敬しながらみんなで英語を学んでいます。後は海外ドラマをできるだけ見るように心掛けています。オススメはFRIENDS。日常の会話が主な内容で、とっても面白いです。英語は自分の世界を広げてくれて、人生を楽しくするツールだと思います。悔しい思いもたくさんしますが、日本語と同じくらい心地よく、ペラペラになるまで努力し続けようと思います。